mitsu2019

映画に関する感想などで御座います。

運び屋

もはやハリウッドの生ける伝説映画王爺は健在だった。

 

クリント・イ―ストウッド主演の映画「運び屋」を鑑賞。映画館で観れなかったのは非常に残念である。サスペンスな題材だけど、派手なCG特撮シーンやアクションがあるでなし、奇をてらった脚本でもはない。

 

 

でも、これぞシネマ。映画とは人生との出会い。この映画を観る前に、マーベルの「アクアマン」を観ていたので尚更心に響いた。いえ、アクアマンが悪いんじゃないんです。ハリウッドのビジネスマン達が悪いんです。前置きが長くなりました。長くなるほどの静かなる名作。

 

 

 

 

アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。

 

 

主人公の設定は、2008年公開の「グラントリノ」に類似する。退役軍人、家族ないがしろ親父と言う点は同じ。子供達とうまくいってないのも同じ。相違点は、死に場所を探す老人と老いを受け入れず彷徨う老人の違いか。マフィアの大量な麻薬を運ぶ”運び屋”だが、彼の日常は変わらない。サスペンスな設定だけど、淡々と話は進む。イーストウッドの自然体過ぎる演技と他演者の巧みな演技が観る者をその場に居合わせるような錯覚に陥らせる。これをクリントシステムと命名。勝手にね!

 

 

前作「グラントリノ」が未来への継承と希望を描いたのならば、10年後の今作は、その希望が、格差や人種差別の助長など衰退するアメリカへの嘆きに思えた。恐らく産業革命前夜の昨今で今後まるで違う世界が急速に進むと思う。この手の作品も少なくなっていく(描けなくなる)という危惧を感じた。

 

 

そんな嘆きの中で「家族は最も大切なものだ」というメッセージや、「お金でなんでも買えたのに、時間だけは買えなかった」などの台詞が脳裏に残る。高校生の次男との鑑賞でしたが、マーベル男子な次男が意外にも感銘を受け面白かったと呟いた。テクノロジーが発達しても人間はまだそれ程変わっていないのだろう。しかしながらこの作品って、私生活は大荒れだった、C・イーストウッドの自身の告白でもある様に思えたりもした。いつか自分も生涯を振り返り、告白作品を作りたい。あ、そんなビジネスでもやるかな。